中野信子 著 “努力不要論” を読んで

学び

努力は報われるのか?

社会人になってから、私の中で、

興味を持っているテーマの一つになっています。

巷には、「努力すれば伸びる」といった

精神論を謳った本がたくさんあります。

科学的に考えたとき、本当のところはどうなのか。

努力は報われるのか?

この問いに対する一つの回答として、

脳科学者の中野信子さんの見解は

「半分正解で、半分嘘」とのことでした。

半分正解

自分の最大限の能力を生かすためには、やはり努力が必要とのこと。

たとえば、運動をしなければ筋力は衰えていく。

一方、定期的に運動をする習慣がある人は

筋力を発達させることができる。

当たり前の帰結ではありますが、

自分の能力を伸ばすためには、

努力が必要であるということになります。

半分嘘

運動、勉強、音楽など、生まれつきの才能が関係している。

才能のない人が才能がある人に努力で勝つのは極めて難しい。

私みたいに運動が苦手は人が、一念発起して短距離走りを死ぬ気で努力しても、

ウサイン・ボルトには勝てない、という事実が

分かりやすい例になるかと思います。

では、どうすればよいのか?

現時点での自分の結論は、上記のように半分正解/半分嘘が

真実であったとしても、

「努力はすべきである」と考えています。

なぜか、自分にはどんな能力があるのか、得意分野は何なのか、

自分の持つ特性を認識するためには、ある程度の努力を積んで、

能力を発揮してからではないと、判断ができないからです。

一方で、一定の努力をしたうえで、

「これは自分に合ってないな」と感じたら、

潔く諦め、退く必要もある、と実感しました。

実生活の中での体験談①

前職の職場では、ゴルフが盛んでした。

同僚・先輩たちとのコミュニケーション手段の一つがゴルフでした。

週末、ゴルフのラウンドに行き、交流を深める。

そのような文化がある、職場でした。

入社して間もない私も、同僚・先輩たちとコミュニケーションを取るべく、

“ ゴルフを始めてみますか ”

と思い立ち、先輩に頼み、ゴルフの打ちっぱなしに

連れて行って頂きました。

運動神経が無い事は、自分でも認識していたのですが、

合計5回ほど、各2時間、打ちっぱなしで、練習を積みましたが、

クラブがボールに安定して当たらず、上達が全く感じれませんでした。

付き添って頂いた先輩も

“ 今日もダメか、まだまだ、ゴルフのラウンドにでるのは厳しいね ”

と半分、匙を投げざるを得ない状況でした。

5回目以降も打ちっぱなしの練習に連れ添って頂いたのですが、

回を重ねるごとに、練習中の雰囲気が悪くなり、

結果的に私の方から、

“ ゴルフの才能がないみたいです”

と申し出ることで、先輩とのゴルフ練習は終了しました。

この本を読んだ今、当時のゴルフを止める決断が

脳科学的には正しかったのかな、と納得することが出来ました。

実生活の中での体験談②

過去に職場の同僚から、「俺、報告が苦手だから君頼むよ」と、

丸投げさせられるシーンが数回ありました。

一回ならまだしも、幾度と繰り返し丸投げされた際に、たまらず

「いい加減、〇〇さんも報告資料作成して報告してくださいよ」と

言い返しました。それに対して

「いやぁ、俺、報告資料を作成するの苦手で、才能がないんだよ」

このシーンに対しても、上記の努力不要論を適応すべきなのでしょうか?

「データ整理→報告資料の作成→報告」は基本スキルだと思うのです。

同じ職番内で、同じルール、同じ評価基準の基で、働いている以上、

才能の有無にかかわらず、基本スキルを身に着ける努力はすべきと思いました。

今後に向けて

過去の職場でのエピソードと合わせて、

「努力」の必要性について、考えさせられた本でした。

また、答えを出すことが難しいテーマでもありますので、

今後も、日々の生活の中での出来事とリンクさせながら、

「努力」について考えていこうと思います。

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