『鹿の遠音』に挑戦

趣味

はじめに

コロナ渦における “ まん延防止等重点措置 ” 期間中、尺八のレッスンを延期しておりました。前回のレッスンが2022年1月上旬、それから約2カ月半ぶりに尺八のレッスンに参加しました。2022年度の始まり、またレッスンの間隔が空いたこともあり、今までに挑戦したことのない、新しいジャンルの曲の挑戦してみたい、という考えを抱いていました。尺八において、2大流派、琴古流と都山流、存在します。これまで、都山流の曲のみを習ってきました。そこで、このタイミングで、これまで経験したことがない、琴古流の曲、その中でも有名な尺八本曲に一曲、“ 鹿の遠音 ” という曲に挑戦することにしました。

曲の特徴

曲の構成

尺八の2重奏曲、第一パートが演奏した後に、第二パートがほぼ同じ旋律を繰り返し演奏する。その後に、第一パートが続く。第一パートが曲を先導し、第二パートが追っかける、という構図になります。2体の鹿が、お互いの存在を感じ取りつつも、均衡のとれた距離感を保ちながら戯れている、そのような情景を演奏者の脳裏に浮かばせる構成です。

音の特徴

都山流の曲と比較して、琴古流の特徴の一つとして、より一層、“ 音と音の間の音 ” を繊細に紡ぐ、ことが挙げられます。この特徴は、“ 鹿の遠音 ” においても同じであり、西洋音階では、“ 雑音 ” として扱われてしまうような音を、丁寧に演奏していきます。

楽譜の特徴

都山流の楽譜では、西洋音楽の楽譜と同様に、小節ごとに奏でる音を区切るように表記します。一方、琴古流では、音と音の繋がりが強調したような、仏教の御経に近い印象の表記をします。

譜読みをして感じたこと

これまで慣れ親しんできた都山流と、楽譜の読み方、指使い等、違う点が多い為に、Ⅰフレーズごと確認しつつ、マスターしながら、曲を進めていく方針となりました。一回目のレッスンでは、3つ目のフレーズまで教わって終了となりました。

3つ目のフレーズを演奏して、感じた印象について、3つ、次に記したいと思います。

【1】音と音の間が重要

楽器としての尺八の得意分野の一つである、音と音の間を演奏する、この点を都山流よりも全面に出した奏法であると感じました。それゆえ、尺八らしい、心地よい音色を大いに感じることができる曲です。日本人が鈴虫の音色を心地よいと感じる理由と同じく、尺八の音色には、良い意味で雑音が混じっているため、尺八の音色を心地よいと感じるのだと、想像しています。

【2】宗教的な特色が強い

【1】の特徴に由来しますが、音階の間を丁寧に演奏する曲であるため、仏教の御経のように感じられる、宗教的な色合いが強い曲である印象を受けました。虚無僧と同様、日本の伝統楽器としての尺八のほかに、宗教的な楽器としての一面を感じることができます。

【3】演奏者のオリジナリティーが出しやすい

こちらも【1】に由来しますが、音階の間の音、そのすべてを楽譜では表現できないため、詳細な音の運び方は、先生・師匠からの伝承になります。それゆえ、教わった師匠により、演奏方法に微妙な違いが生じるはずです。さらに、音を演奏する間合いなど、演奏者の過去・バックグラウンド等に影響され、微妙な違いが生じてくる、演奏者ごとの “ 鹿の遠音 ” が存在するのだと、感じました。

今後に向けて

今回、いままで扱ってこなかった、琴古流の古典本曲 “ 鹿の遠音 ” に挑戦しました。都山流と比較し、楽譜の読み方、指使い、音の表現方法など、異なる点が多く、これまでの曲以上に苦戦が予想されます。まだ、始めの3フレーズまでしか進んでおらず、最後までたどり着き、さらに、曲の始めから終わり間までを吹き切るまでには、半年かかることを覚悟しています。

“ 鹿の遠音 ” という曲の存在は知っていました。しかし、曲を習い始めて、その難しさ、尺八の面白さを改めて認識することが出来ました。

時々、これまでに習ってきた曲を振り返りつつ、直近の数カ月は、“ 鹿の遠音 ” を通じて、宗教的な尺八の世界に浸っていこう、と考えております。

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