はじめに
平成28年の熊本震災の後、熊本城天守閣含めて、城内のいたるところに倒壊・破損が生じました。その普及作業が進み、令和3年6月28日(月)、天守閣の普及が完了し、天守閣内部の見学が可能となりました。2022年3月21日に、熊本県において、コロナまん延防止措置が解除された、このタイミングで、数年ぶりに熊本城を訪れました。本記事では、熊本城散策の様子について、ご報告致します。
写真は行幸坂のふもとに鎮座する加藤清正公の銅像です。
城内の様子
外堀散策
加藤清正公の銅像を横目に、行幸坂を目指しました。その道すがら、穏やかな水の流れが印象的な外堀が出迎えてくれます。季節的に、綺麗な桜も眺めることが出来ました
熊本城内のいたるところに、熊本地震からの復旧工事が進んでいます。今も現在進行形で、熊本地震からの普及が日々進んでいる、こくこくと変化の様子を見学することが出来ます。
未申櫓
未申櫓は西出丸の南西各にある三階櫓です。江戸時代には方角を干支の動物で表すことがあり、南西を意味する「未申」の名が付いています。櫓は明治時代に解体されましたが、平成15年(2003)に木造で復元しました。塀で囲まれたこの一角には役所機能が集められ、「奉行丸」とも呼ばれています。平成28年(2016)の地震では、石垣や塀いたるところで崩れました。
説明より
内堀散策
城内に歩を進めると、広く深い外堀が出迎えてくれます。
熊本城を責める武将目線で、この内堀を観ますと、城内へ攻め込むために、これだけの深さと広さの内堀を越えていく必要があると知った瞬間に、戦意を失うだろうなと想像しました。
城内の内堀を過ぎると、木々の奥側に、天守閣の一部が観えてきました。いざ、天守閣へいかん。
南大手門
熊本城の西出丸には、かつて北・西・南に3つの大手門がありました。南大手門は、城の南にある山崎から南坂(現在の行幸坂)を通って、天守へ向かうルート上の重要な位置にあります。平成14年(2002)に木造で復元しましたが、平成28年熊本自身で石垣が崩れ、櫓本体も変形しました。現在は鉄骨を用いて倒壊防止の対策を行っています。
城内説明より
平左衛門丸
天守の西側に位置する曲輪は、加藤清正の重臣加藤平右衛門の屋敷があったことから、平右衛門丸と呼ばれています。北西隅には唯一現存する五階櫓の宇都櫓(その南には続櫓)があり、国の重要文化財に指定されています。平成28年熊本地震では、五階櫓の床や壁なごが破損し、続櫓が全て倒壊しました。
城内説明より
天守閣
復元された天守閣、かっこいい、の一言でした。
下からの角度の眺めからの、熊本城の重厚感が伝わってきます。
熊本城の脇で割く桜。ここからの眺めも良きものでした。この後、熊本城内へ入館しました。
最上階からの展望
熊本市役所方面の眺め、熊本の街が一望出来ます。
熊本の街、ホテルキャッスル方面の眺めになります。
熊本城、西側の眺め、自分たちが歩んできた道筋を眺めることが出来ます。
天守閣西側の眺め、眼下に宇都櫓を流れることが出来ます。
城内散策
城内のいたるところに、熊本震災の爪痕を確認することが出来ます。
石垣の崩れ具合の観ますと、熊本地震の激しさを、今も感じることが出来ます。
南側からの熊本城の眺め。この眺めが、熊本城の眺めの中で一番好きです。重厚感ある佇まいがより強調させる眺めだと感じています。
施設情報
場所
感想
熊本震災後、天守閣が完全復旧し、さらにコロナまん延が落ち着いたタイミングで、数年ぶりの熊本城を散策しました。戦国時代の武将の威厳を見せつける為の「魅せる城」の側面だけでなく、「戦う城」の側面が城内いたるところで難じられる点が、大好きなお城です。2016年の熊本震災から、城内が完全普及するまでに、あと数十年かかる見込みであります。完全復旧を心待ちにしつつ、復旧に向けて変化し続けている熊本城を陰ながら応援していきたい、そのような思いに致しました。
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