はじめに
高野山散策、2日目も、高野山エリア内を移動できる時間は、残すところ、1時間を切りました。2日目、最後の訪問先として、重要文化であり、高野山エリア内で現存するもっとも古い建物である、「多宝塔」が建立されている、金剛三昧院を訪れました。
「金剛三昧院」は、高野山エリアのメインストリートから南側に外れた方向に位置しており、「金剛三昧院」まで至るまでに、緩やかな上り坂を上って向かいました。本記事では、「金剛三昧院」を訪れた様子について、ご報告致します。
表門の様子
文政年間の建立。山門の文字は「毘張尊」。この地を守護する天狗様の名前が掲げられています。
金剛三昧院パンフレットより引用
これまで訪れた寺院の表門とは少しことなり、表門を構成している木材、一つひとつに長い時間を経てきた雰囲気を感じました。
本堂の様子
本堂には、本尊 愛染明王が祀られています。迷う心を正しい心へと変え、あらゆる縁を結ぶ仏様です。源頼朝の等身大の念持仏で、伝 仏師運慶作。源頼朝・北条正子・足利尊氏らの御位牌を安置しています。
金剛三昧院パンフレットより引用
多宝塔の様子
多宝塔を遠目から眺めますと、バックの山林に溶け込むように存在しており、ひとつの絵画を眺めているような感覚に陥りました。
多宝塔は1223年、鎌倉時代に建立された高野山に現存するもっとも古い建立物です。また滋賀県の石山寺に次いで、日本で二番目に古い多宝塔でもあります。
多宝塔には運慶の弟子である仏師快慶作と伝えられる。秘仏 五智如来坐像(重要文化財)が安置されています。
金剛三昧院パンフレットより引用
一方、多宝塔を近くで観ますと、遠目からの様子とは異なり、悠久の時間を耐え抜いてきた、建物固有の存在感を強く感じました。
経蔵の様子
寺院に伝わる経典などを収蔵する経蔵は、1223年、鎌倉時代に建立されました。
建築様式は奈良の正倉院と同じ校倉造りで、屋根はヒノキの樹皮を敷き詰めた檜皮葺(ひわだぶき)です。中には弘法大師空海の書いた書物や経典を刻んだ版木である「高野版(重要文化財)」が約500枚残されています。
金剛三昧院パンフレットより引用
最後に
高野山散策、2泊3日の中日、駆け足で代表的な寺院を散策して参りました。2日目の最後に、「金剛三昧院」を参拝することが出来、その後、2泊目の宿泊場所である、「大圓院」へのチェックイン時間内にたどり着くことが出来ました。2日目は、朝から西から東へ歩き回り、足に疲労感が溜まっている感覚がありました。「大圓院」へのチェックイン後は、これまでの旅の疲れを取るべく、そして、これまでの延長線のように、最終日の散策しきるよう、ゆっくり休むこととしました。
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