はじめに
高野山散策3日目、9時頃に宿坊を出発し、「徳川家霊台」を参拝した後、高野山エリアの入口に当たる、「女人堂」に向かうことにしました。2泊3日の高野山体験も終わりに近づき、物悲しさを感じながら、足を進めました。
1日目、行きは高野山巡回バスに乗車し、女人堂から続く坂道を下りました。バスに乗車していても感じる程、坂道は急でした。その坂道を、帰りは徒歩で上ることにしました。肌感覚で、約100メートル程ありそうな坂道、徒歩で進むには、まさしく「骨が折れる」思いでした。
高野山エリアの入口
坂の頂上から、高野山エリア側を眺めた写真です。左右に立つ灯篭を高野山の入口として、そこから先が消えているように見えます。この様子からも、女人堂から続く坂道の急さが感じ取れると思います。
加えて、左右の灯篭より先が大きく下っていることで、日常の世界と高野山エリアの間に位置する「結界」的な雰囲気も感じました。
高野山エリア入口から見た、坂道の様子です。まっすぐに伸びる下り坂、高野山エリアへ誘(いざな)われる感覚を覚えました。
女人堂の様子
遠目からの女人堂の様子になります。近くからの女人堂を撮影が禁止されていたため、距離を取って、撮影をしました。
高野山エリア、現在では、国籍・性別・年齢に関係なく、参拝が可能ですが、872(明治5)年まで、開山より約1000年間、女性の入山を厳しく制限していました。そのような歴史背景もあり、現代においても、女人堂には、高野山エリアの門番としても雰囲気を感じました。
最後に
女人堂の参拝で、2泊3日の高野山エリア散策を無事に終えることが出来ました。この後は、高野山巡回バスに乗車し、行きと逆の交通手段を乗り継ぎ、帰路へと向かいました。
振り返ってますと、あっという間の2泊3日。高野山エリアという、限られた範囲内で過ごした3日間。ですが、五感から感じられた情報量が非常に多く、高野山エリアを出発する際も、自宅に到着してからも、さらに、この記事を書いている時点でも、その全てを自分の内で、消化しきれていない状況です。
高野山で過ごした3日間で得られた感覚を、日常生活を過ごす中で、少しずつ思い返しながら、理解・咀嚼し、今後の人生に活かせられれば、と考えています。
ただし、ひとつだけ、高野山散策を終えた今、思うことがあります。
それは、「もっと、生きたい」という思いです。
3日間と短い期間でしたが、日常を離れてみると、当たり前だった、惰性で過ごしていた、喧噪とした日常の有難みを感じました。多少の嫌なことが自分の身に降りかかっても、それでも、「生きたい」。そう強く思いました。
そして最後に、高野山へ、貴重た体験をさせて頂き、ありがとうございました。
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