はじめに
高野山宿坊協会の事務所にて、宿泊する宿坊の手続きを終え、最初に、高野山エリアの東端に位置する、奥の院へ向かいました。
奥の院入口まで、高野山宿坊協会の事務所から約800程、少し遅めに歩いて20分程で、到着することが出来ました。宿坊 宝善院前で、道が二手に分かれており、進行方向左手へ進むと、奥の院の入り口、「一の橋」にたどり着くことが出来ました。
奥の院・一の橋手前にある、御手洗場で手を清め、一の橋へと向かいました。
一の橋
石作りの橋、「一の橋」の前に到着した瞬間、ひと時、立ち竦みました。「一の橋」の奥に見える、数多くの墓石、そして、鬱蒼とを生い茂る杉林。「一の橋」を境にして、その手前を奥では、広がっている世界・雰囲気が異なる。「一の橋」が双方の間の結界の役割をしている。その神秘的なオーラに、ただただ圧倒されました。
「一の橋」前で、大きく深呼吸をし、歩みを進めました。
奥の院と一の橋
高野山の進行の中心であり、弘法大師空海がご入場されている聖地です。奥の院へは正式には一の橋から参拝します。一の橋から御廟まで約2kmの道のりは、およそ20万基を超える諸大名の墓石や、祈念碑、慰霊碑の数々が樹齢数百年を超える杉木立の中に立ち並んでいます。
一の橋は、弘法大師御廟の浄域への入り口に当たります。正式には「大渡橋」または「大橋」と言います。参詣人をここまで弘法大師空海が送り迎えをするという伝承があり、お参りする人はここで礼拝して渡ります。
世界遺産・和歌山県 掲示資料より引用
奥の院
「一の橋」を渡るや否や、参道の左右には無数の墓石が所狭しと、またそれらを包むように杉林が広がっていました。これほどの多くの墓石が半ランダムに並んでいる姿を、これまでの人生の中で目にしたことがありませんでした。そのため、その得体の知れない雰囲気を五感で感じることで精一杯で、しばらくの間、スマホで写真を撮ることを忘れる程、無我夢中で奥の院の奥へと、足を運んでいました。
奥の院を進んできますと、墓石・杉林だけでなく、石造りの橋も幾つか観ることが出来ました。しばらく、奥の院を進んでいて、「杉林・墓石・石橋がコラボした雰囲気が美しい」を思い立った地点で、リュックサック中から、スマホを取り出し、その風景を写真に収めました。
さらに、奥の院を進んでいきますと、本道から脇道が伸びていました。好奇心に誘われるがまま、その脇道を進んで行きました。すると、「高野山仲之橋霊園」にたどり着きました。
詳細は調べる必要がありますが、私の様は一般の人でも、高野山の麓、奥の院の近くにお墓を構えることが出来る可能性があることを知りました。
現時点で、「自分の死」をリアルに感じられてはいないのですが、いつかは訪れる「死」。奥の院を進んで行く程、「自分の死」に対する臨場感が増していくのを感じました。
弘法大師御廟
御廟橋
この橋を渡ると弘法大師空海御廟への霊域に入ります。先ず、橋の前で脱帽、服装を正し清らかな気持ちで一礼し橋を渡ってください。
この橋は、36枚の橋板と橋全体を一枚として37枚と数え、金剛界37尊を現していると言われ、橋板の裏には、仏を現す梵字が刻まれています。
古くから、お大師様が参詣する者をこの橋までお迎え下さり、帰りはお見送り下さると信じられており、僧侶がその行き帰りに必ず御廟に向かって合唱礼拝するのもそのためである。
この橋は従来、木の橋でしたが、現在は木橋を模した石橋に架け替えられています。
世界遺産・和歌山県 掲示資料より引用
「一の橋」から歩くこと約50分、御廟の入り口、「御廟橋」に到着しまいた。これより先は、弘法大師空海様が入定された、聖域であるため、写真撮影が禁止されたエリアになります。
「御廟橋」を前に、再度、深呼吸し、歩き始めました。御廟へ到着しました。そこには、ロウソク、提燈をメインとした、少し明るさが暗い空間と、肌感がヒンヤリとした神聖な雰囲気が広がっていました。御廟にて、お参りしました。その時の心持として、弘法大師空海様にお願い事をするのではなく、健康な体で、今この場所に立てていることに対する感謝の念を強く感じ、その思いを心の中で唱えました。
最後に
御廟へのご参拝を終え、帰り道は、行きとは異なる道順を進みました。到着したのは、「一の橋」とは異なる入口で、目の前には、整備されたバス停留所や、お食事処がありました。「一の橋」とは、打って変わり、観光地の雰囲気でした。この後、再度、スタート地点の「一の橋」まで戻りました。「一の橋」を出発してから、2時間以上、時がたっていました。時刻としては、15時。1泊目の宿坊先のチェックイン時刻が15時~、ということもあり、「一の橋」から宿坊の方向に向かいながら、一日目の高野山散策を終えました。
コメント