はじめに
亀山社中跡を後にし、山の下るかたちで、長崎市街地目指して歩みを進めました。その道の途中に鎮座している、長崎の総氏神様である、諏訪神社に立ち寄りました。
諏訪神社は、現地では、「お諏訪さま」「おすわさん」と呼ばれることもあります。10月7日~9日の期間で開催される例祭として、「長崎くんち」が有名です。
諏訪神社_参道階段
第一鳥居に到着し、諏訪神社本殿の見上げた次の瞬間、長く続く階段に驚愕しました。約200段(正確には193段とのこと)もの階段が目の前にそびえ立っていました。その先に鎮座している、本殿を目指して、一段ずつ、歩みを進めました。
階段の中腹に到着しました。この時点で、太もものあたりにハリを覚え始めました。中腹より先は、階段両側に手すりが設置されています。階段が想像より急なこともあり、階段の途中から、手すりを使いながら、本殿を目指しました。
諏訪神社_本堂
階段との格闘の末、無事に本殿に到着しました。落ち着いた雰囲気の本殿。ここまでの長崎旅行が予定通り、そして、無事故でこれたことに対する感謝、また、これからの長崎旅行も無事に進められるよう、見守っていただきたい旨をお伝えしました。
諏訪神社_さざれ石
本殿の傍には、国歌「君が代」で歌われている、「さざれ石」が奉納せれています。「細石(さざれいし)」と漢字で記される通り、小さいな石が長い年月をかけて、ひとつの集合体となった石、岩を指します。人の人生の短さを感じつつも、その短い時間の中で、一つ一つ楽しい経験をしていこう、と一瞬、物思いにふけっていました。
諏訪神社でのお参りを終え、中島川に沿って、歩みを進めました。次に目指すは、眼鏡橋です。
眼鏡橋
眼鏡橋(めがねばし)
栄町ー諏訪町 国指定重要文化財(昭和35年2月9日指定)
中島川の第10橋。わが国最古の石造りアーチ橋で寛永11年(1634)興福寺唐僧黙子(もくす)禅師によって仮説された。黙子禅師は中国江西省建昌府建昌県の人で、寛永9年(1632)に日本に渡来したが、石橋をかける技術指導者でもあったようである。しかし、この眼鏡橋は天保4年(1647)の洪水で損害を受け、慶安元年(1648)平戸好夢(こうむ)によって修復がなされた。川面に映るその姿から、古来より “ めがね橋 ” の名で長崎の人たちに親しまれていたが、明治15年(1882)に正式に眼鏡橋と命名された。
説明資料より
中島川沿いには、眼鏡橋以外にも、いくつもの石造りの橋が架かっています。普段の生活の中で、石造りの橋を観ることが少ないこともあり、明治時代あたりに、タイムスリップした感覚を覚えました。
眼鏡橋を後にし、長崎市中心街、宿泊場所が近い、思案橋を目指して、歩み続けました。
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