『尺八』体験記 Vol.1

趣味

始めるキッカケ

大学入学をきっかけに、“ 尺八 ” を始めることになりました。高校時代、特に部活に所属することなく、一方で、真剣に勉学に励むこともなく、3年間を過ごしてしまった、という後悔を感じていました。そして、1年間の浪人時代を経て、大学に進学することになった際に、「大学に入学したら、勉強だけでではなく、バイト・サークル活動にも、積極的に参加しよう」、そうした思いから端を発して、「大学4年間で、楽器を一つ身に着けよう」と思い立ちました。

大学入学して間もなく、音楽系サークルを中心に、サークル選びを始めました。はじめは、音楽系サークルの王道、吹奏楽部、オーケストラ部、ギター部、ピアノ部、軽音部などを中心に、部室を訪問し、サークル活動の詳細について、情報収集をしていきました。これらのサークルに共通していたことは、「中学・高校の部活からの経験者が半数を占めていた」点でした。私自身、学校の音楽の授業以外、楽器に触れてこなかったこと、さらに、五線譜が全く読めないなど、音楽未経験から、中高6年間のディスアドバンテージを挽回できるか、その当時、不安に思えたことを覚えています。

そんな中、和楽器サークルのサークル歓迎会に参加しまいた。サークルメンバーの経歴を聞くと、大半の人が、中高で音楽経験がなく、大学のサークルから新たに演奏活動を始めるメンバーが大多数でした。自分と同じ境遇の人たちと、意気投合したこともあり、和楽器サークルに入部することにしました。

和楽器サークル入部の後、どの楽器を担当するか、選択する必要がありました。選択肢は3つ、箏・三味線・尺八。その当時、津軽三味線の演奏家、『吉田兄弟』さんが活躍されていたこともあり、一次選択として、同期10人中、内自分も含めて、8人が“ 三味線 ” を希望しました。当然、和楽器の配置バランスが悪くなることから、箏・尺八に数人、移る必要がありました。そんな中、初見で、私が尺八の音を微かに出すことが出来た点がクローズアップして頂き、尺八の担当に映ることとなりました。今、振り返りますと、この選択が、尺八の難しさに悩むされることとなりました。

尺八の難しさ

尺八において、他の楽器と合奏をするに至るまでに、幾つかの壁が存在します。最初の壁が、楽器の醍醐味であるはずの、“ 音を出す ” 点です。箏・三味線は弦を弾くと音がでます。一方、尺八は息の強さ・方向、尺八を顎に当てる位置などが少しずれただけで、音がでにくくなります。箏・三味線担当の同期が、曲練習を始めている様子を横目で見ながら、自分自身は、ひたすら音を出す練習を日々繰り返していました。こうした状況の元、徐々に尺八にモチベーションが下がり、練習に身が入らないようになりました。結局、音を出すようになったのが、入部して8カ月後のことでした。

音を出せるようになった後も、尺八は壁として、立ちはだかりました。次の課題は、“ 音のピッチ(音程) を正確に、安定させる ” ことです。当然ながら、箏・三味線を合奏をする際に、音の音程が合っていないと、合わさった音が不要和音となってしまいます。箏・三味線は弦の調律によって、音程を合わせることが出来ます。一方、尺八は、演奏者自身で、音程をコントロールする必要があります。この音程を合わせる点については、大学のサークル時代、そして、現在に至るまで、自分の課題として、残り続けています。

大学時代のエピソード

尺八を始めて、音が出ない、音程が安定せず、モチベーションが低下した時期が長く、一時、サークルを退部する意向を固めていました。先輩のこのことを相談した際に、「1か月後の定期演奏会までは続けてみてみたら」との言葉を頂き、定期演奏会までは、続けるにとにしました。

定期演奏会、2週間前に、入部1年目の部員の課題曲である「三段の調べ」を、音程は度外視して、音を出して、演奏することができるようになりました。そこから、本格的に、同期と合わせ練習に参加することができるようになり、ギリギリのタイミング、いや、むしろ、間に合っていないとも言えますが、その状況で、定期演奏会、当日を迎えました。

演奏順番は、演奏会の中盤、自分たちの出番を迎えるまで、ずっと緊張していた記憶しかのこっていません。しかし、舞台の上り、スポットライトを浴びた以降、なぜか、緊張がほぐれ、奇跡的に、前日の練習通りに、演奏出来ました。OB・OGの方々含めた、先輩方からも、お褒めの言葉を頂けたこと。また、舞台に上がった際の緊張感を味わえたことを経験し、サークルを辞めず、もっと尺八を上手になりたい、思うようになりました。この経験が、現在まで尺八を続けられている原動力になっています。

社会人時代のエピソード

大学を卒業し、社会人生活を始めたこと、初めての一人暮らしに慣れる必要があること、また日々の仕事に追われていたことが重なり、尺八との距離が遠ざかっていました。社会人3年目に入ったころ、宮城県から熊本県へ、転勤することとなました。心機一転、新しい土地へ移り住むことをきっかけに、再度、尺八を再開しようと思い立ちました。インタネットを通じ、熊本県内の尺八教室を検索し、検索結果の一番最初に表示された尺八教室へ電話を掛け、その一週間後、尺八教室へ見学に伺いました。この出会いがきっかけとなり、福岡県に住んでいる現在においても、通い続けています。

今後に向けて

尺八を始めて、途中、2年間のブランクを含めて、18年が経った今、今後も長く続けたい、と思える趣味の一つとして、仕事と離れた、大切か活動となっています。何年続けても、尺八の難しさを感じながら、今後も、新たな曲を一つ一つ、学び習得していきたい、と考えています。また、現在のコロナ渦で、演奏活動が難しい状況ですが、機会を見つけては、積極的に、演奏活動にも参加していきたいと考えています。趣味として、尺八を続けられている今の状況を、有難く思いながら、今後も一つ一つ、課題をクリアしていきます。その進捗について、随時、ブログ記事を通じて、報告して参ります。

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